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殿、御乱心! 2 殿、御乱心! 2 [ 寂滅〜隠れ切支丹大名 ] 寛永十四(一六三七)年、島原藩の各地で切支丹一揆が発生した。有馬村の農民が集会を開いて代官の林兵左衛門を殺害、さらに千々石村、串山村の代官を小浜村で殺害したことから表面化したのである。村々の神社仏閣などを焼き払い仏僧を殺害した一揆勢は、島原城を目指し進軍したが、島原勢により制圧された。そこで一揆勢は有馬の原城に引きこもったが、それを聞いた天草でも一揆が起こったのである。 しかし翌年、これらの一揆は十二万にものぼる幕府連合軍の攻撃を受け、天草四郎時貞を中心とした三万七千の一揆軍は全滅してしまった。その後これらの切支丹は隠れ住むことのみで、その命脈を保つことになる。戦いに際しての素人集団の悲しい末路であった。しかしそのことに関して長綱は何も言わなかった。権兵衛はその様子を見ながら長綱の信仰の深さを推し量っていた。 この年の九月六日、崇源院殿(徳川秀忠室)の十三年忌の御法会が営まれたが、裏門の警備は三春藩の担当とされた。費用はかかったが幕府からのこの命令は、権兵衛を安心させていた。長綱が切支丹でないこと
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