
 









|

滋賀県高月町のハンドバッグ店の情報が登録されていません。

居酒屋・鍋物 一丁 居酒屋・鍋物 一丁も先に紹介した食堂のかつ味と同じく滋賀県高月町にある地元で人気の店。板さんの1人が沖縄の方だそうだ。仕事が終わったあとに、案内してもらい8人程で打ち上げの宴会でやってきた。メニューは見なかったのだけど、寿司や鍋を中心のようだ。板の間にカウンターと個室風のコーナーがあり賑わっている。 ちゃんこ鍋とホルモン鍋を注文。これはちゃんこの方で、豚肉や野菜が皿に山盛りででてきた。出汁の張られた鍋には、揚げやゴボウが入っていて、沸騰したらツクネをスプーンで次々に投入。いい出汁がでていて野菜や肉も美味い。突出しのタマゴや佃煮風の煮物も気がきいている。 琵琶湖と言えば、鮒寿司や鮎寿司が有名だけど、鯖寿司もとてもおすすめらしい。お腹は結構一杯だったのだけど、これは見るからに美味そうだ!ほんのりとした酸味と甘みがあってとても肉厚。口に頬張るとなんともシアワセな食感と旨味が口中一杯に広がる。近江米の産地でもあり酢飯もとても味わい深く、今回一番印象に残った一品でもある。 今回は、酒の持ち込みもあって、ビール以外にいろんな味見もできて、料理ともよくあうなぁ。 こっち
芳洲通り‥‥江戸時代の外交官・雨森芳洲の功績を 雨森芳洲は江戸時代の儒学者。 木下順庵に学び、同門で江戸城に登った新井白石と双璧をなした逸材です。 芳洲は対馬藩に望まれて22歳で士官。88歳の天寿を全うするまで故郷滋賀県高月町に帰省することもなく、日朝外交に尽力しました。 中でも朝鮮との外交姿勢を説いた名著“交隣提醒”に書かれた交流姿勢は21世紀の国際交流においても高く評価されています。 朝鮮通信使に随行して2度江戸城に登りましたが、通信使の対応をめぐっての白石との論争は有名です。 厳原町日吉にある長寿院にその一族の墓所があり、長寿院の通りを“芳洲通り”として、歩道を整備し、カラーフェンスに功績の一部を紹介しています。
|
|
|